The "TBLG" ――――――二〇一二年五月某日、××駅。外は生憎の雨。改札口は、途方に暮れる人々でいつも以上にごった返していた。取引先との打ち合わせを終え、ようやく帰社するところだというのに、まったくツイてない。『今日は午後から雨となるでしょう』朝の天気予報を思い出してみても、後の祭りだ。日射しに惑わされ、汗を拭いつつ打ち合わせ場所に向かった俺は、傘を社に置き忘れていた。今回の案件は、思いの外長引いた。それはつまり、先方の会議室に並んだ、硬いばかりの安物の椅子に、数時間も尻を預けていたということだ。それどころか、向かい合う連中の頭まで固いとなれば、肩も腰も悲鳴を上げるのは致し方あるまい。その上で、この雨の中に飛び出す気力は、四十路の体には到底残されていない。老いたな、と自嘲しながら駅ビルを彷徨う。――ふた昔前なら?無意味な問答はあっけなく雑踏に溶け込み、コンコースの濡れたタイルの上で、俺はひどく滑稽なステップを踏んだ。昔痛めた膝は、こういうときだけやたらと主張して突っかかってくる。腐れ縁の悪友というやつだ。一度立ち止まり、俺は履き古した革靴の泥染みから顔を上げた。と、ひとつの看板が目に飛び込んできた。『そば屋 ○○』。外からでも見えるカウンター、立ち食いの店だ。味は期待できまい。そう思いながらも、足は不揃いなタイルをたどっていく。まったく、聞き分けのない奴め。大学時代――つまり、遥か遠い追憶の彼方――、通い詰めていた蕎麦屋があったことを、唐突に思い出した。ほのかなツユの香りが呼び覚ましたのか。ガラスに映ったビール腹で我に返った。店頭にディスプレイされたサンプルをざっと眺め、券売機に並ぶ。メカブ蕎麦、310円。大衆向けの安い店だ。貧乏学生の時分でさえ、蕎麦にはもう少し金を払ったものだった。ここはトッピングにコロッケなんかが並んでいる。邪道にも程があるというものだ。前の客に続いて、食券をカウンターに差し出す。男の声が矢継ぎ早に響く。「タヌキ一丁、天ザル一丁、メカブ一丁。」威勢のいい声は及第点といったところか。やはり蕎麦屋はこうでなくては。奥では既に調理が始まっていた。茹で置きの麺を湯にくぐらせ、ツユを張るだけの御粗末なものだ。ただ、香りは悪くない。メカブが流し込まれ、目の前に出てくるまで、およそ40秒。この早さはいい。カウンターには、各々の戦闘服を着こんだまま、黙々と蕎麦をすする男たち。彼らにとって、ここは正に戦場なのだ。それは俺にとっても同じ事だった。箸を割り、まずは一口。無心で二口。三口。――うまい。想像以上の味がそこにはあった。メカブのぬめりが舌に心地よい。茹で置きとは思えない麺のノドごし。ツユも上々、薬味も程よく効いている。気付けば俺は、一心不乱に麺をすすっていた。周囲の『戦士』たちと同じように。紙コップの水をグイと飲み干せば、清々しい達成感が五臓六腑から沸き起こった。「御馳走さん。」「へい、毎度。」自然と口をついた俺の言葉に、店主は満足げな笑みで応えた。暖簾をくぐるとき、次の客と目があった。――わかってるな。ここは戦場だぜ。ピリリとした緊張感が走り、男は頷いたように見えた。そう、ここは大都会、東京。俺達は、この狭苦しい戦場を生きる、戦士《サラリーマン》だ。店を出ると、雨は既に上がっていた。――さあ、もう一仕事。やってやろうぜ。俺達は、それぞれの荷を双肩に負って、駅を出た。そびえ立つコンクリートジャングルへと、濡れたアスファルトを踏みしめながら。――――――みたいな文章がマジであるんだぜ信じられないぜベイベァ!どこにあるんだって? 食べログです。なにあれ。すごいポエムサイトだった。お前のことはどうでもいいわ。というようなことを、冒頭の日付にある通り2012年あたりに私は考えていたらしいのですが、当時の私はどこの戦場を生きる戦士だったのでしょう。世間体と戦うNEETだった疑惑が五臓六腑から突き上げてきているんですが気のせいでしょうか。いいえ、ケフィアです。過去のファイルをあさっていて発掘したのですが、むしろそっと棺を閉めて眠らせておくほうがよかったんじゃね的な思いがすりおろした自然薯のように脳内をのたくっております。冷凍とろろの便利さは異常であります。たぶんあれは長芋。さらっとしていて扱いやすい。だしとの絡みも良好。卵は多めがうまい。ていうかこれ書いたのがすさまじい過去の出来事のように思えてならないんですがたった4年ぽっち前らしいので、やっぱり私の記憶領域には不良セクタが含まれているのだということを再確認して老いを痛感いたします。どう考えても一昔前のような気がするんだが。なんなの? 初夏の風に緑香るめくるめく五月病の時分に私はなにをしていたの?あ、あと『食べログ文学』っていうカテゴリを今日知りました。四年越し。すばらしきムダ知識がこのせかいにF5アタックをかけて秒単位で私の認識する世界を更新しています。いと奥深き食べログ文学ワールド。深すぎてもはや沼地。底知れねえ。ちなみに食べログ文学(もしくはポエム)としては、味への言及の少なさが評価点の一種として存在するらしいので、そういった意味で上記の文章はやはり上辺だけさらった贋作――どこまでいっても尻尾に『風』がつくもの――でしかなく、再三にわたる味・香りへの言及は大いなる減点対象であろうことは疑いようもありません。もっとも、最たる問題は、ヒキNEETのくせに食べログを見ていったいなんの計画を立てようとしていたのかということであり、まさか外出する計画があったとも考えにくいのですが、であるにもかかわらず飲食店のクチコミサイトを閲覧し、恐らく片手では不足する程度の数のレビューを読み、あまつさえその模倣をしようなどと考えたことについて、詳細な記憶の一切が抜け落ちていることも含め、記憶領域の不良セクタの存在を裏付ける資料としてしか、もはや上記文章の存在価値はないものであると、そう断ずることは実に容易であります。暇を持て余したNEETの遊び。それはそれとして、諸君、私は立ち食いそばが好きだ。諸君、私は立ち食いそばが好きだ。諸君、私は立ち食いそばが大好きだ。(以下略)ということは声を大にして主張しておきたいところです。うめえんだもの。そして早いんだもの。すげえだろ。お値段もお手軽。フォーイヤーズが経過してボキャブラリーがプアな感じになったのは果たしてグッドなのかバッドなのか私にはてんでドントアンダスタンなわけですが、まあ飲食店のレビューは味と接客と店の清潔さがわかればいいんじゃないの。と思っています。味:★★★★☆コスパがいい。接客:★★★★☆ハキハキしていて明るい。清潔さ:★★★☆☆それなり。この程度で十分じゃねえかなって思っています。もしや短文ははじかれるみたいなルールでもあるんだろうか。荒らしの防止とか。などと言っていると、文学の深淵という名の皿のフチから澱んだなにかがこちらを見つめ返してきて引きずり込まれかねないので、頃合いを見て切り上げようと思います。頃合いって今さ!本日の一皿:『文学の深淵 ~刻んだ自意識のマリネを添えて~』文学の皮をかぶった黒っぽいタールのようなもので満ち満ちた沼に足の小指の先ぐらいは浸かっちゃってんじゃねえかなって気がしてきた。まだセーフ。まだセーフのはずだ。どこからがアウトなのかは知らない。そう、誰ひとりとして――。ちなみに『厨弐病が逝く首都名所巡礼の旅』っていうやつも出てきたんだけどもう本日の一皿だけでお腹おっぱいなのでこれにておっぱいです。ぱいぱい。 PR